私たちの心は、「なりたい」と「ほしい」が自然とあふれる社会になっています。
「なりたい」心とは、「もっと出世したい」「人から認められたい」「お金持ちになりたい」などなど。
「ほしい」心とは、「限定品がほしい」「高級バックが欲しい」「高級車が欲しい」などなど。地位や名誉も欲しい心に入るかもしれません。
このような心は自然なものですが、その追求が止まらなくなったとき、私たちの心は自由を失い、深い疲労に包まれます。
今回は、約2500年前の哲学者・老子が説いた**「地位と名誉の罠」**について、その本質を紐解いていきましょう。
老子の教え:名誉は「影」のようなもの
老子の言葉をまとめた『道徳経』第9章には、このような一節があります。
「金玉(きんぎょく)堂に満つれば、これをも守ること能(あた)わず。富貴にして驕(おご)れば、自らその咎(とが)を遺(のこ)す。」 (金銀財宝が家いっぱいにあっても、それを守り抜くことはできない。富や地位を得て思い上がれば、自ら災いを招くことになる。)
老子によれば、地位や名誉は「自分自身の本質」ではなく、外側から与えられた**「預かりもの」**にすぎません。 影が光の当たり方で変わるように、名誉も時代の空気や他人の気分で簡単に形を変えてしまいます。そんな不安定なものに人生の根幹を置いてしまうことの危うさを、老子は説いているのです。
「地位」を求めると、なぜ苦しいのか
私たちが地位や名誉に執着してしまうとき、心の中では何が起きているのでしょうか。
- 「守る」ための恐怖: 手に入れた「なりたい」「欲しい」もの(地位など)を失うまいと、周囲を敵視したり、失敗を極端に恐れたりするようになります。
- 終わりのない渇望: 一つの「なりたい」「欲しい」ものを得ても、さらに上の「なりたい」「欲しい」ものを求めてしまい、心が休まる暇がありません。
- 自分不在の人生: 「他人にどう見られるか」が判断基準になり、自分が本当に何をしたいのかが見えなくなります。
老子は、「功を成して身退くは、天の道なり」(仕事を成し遂げたら、さっと身を引くのが自然の理である)と教えました。執着せず、流れに身を任せることが、結果として自分を守ることにつながるのです。
まとめ
地位や名誉は争いを生み、財宝は欲望を生む。そして欺いたり奪ったりすることが絶え間なく起こる。
「なりたい」「ほしい」の心はごく自然に起きる。これは、当たり前のこと。仙人ではないので、無理に欲望の心を抑える必要はない。
「なるほどなぁ。現代社会の構造ってこんなもんかぁ。」と思いつつ、そこそこの欲を楽しむ。
ホッと一息。
📚 出典・参考文献
- 『老子』(岩波文庫 / 蜂屋邦夫 訳注)
- 『道徳経』(金谷治 訳)
- 老子 第9章「持而盈之」


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