1. はじめに:満たされているはずなのに、満たさ
お金のある人=偉い人、立派な人と思っていませんか? SNSのキラキラ自慢、SNSの広告もなんか怪しいものも多いし、お金や贅沢がすべてと…思いやすい時代でもあります。果たして本当に「お金」「贅沢」が立派なのでしょうか。
「いい暮らしがしたい」「贅沢をしたい」。
それは人間として自然な欲求かもしれません。しかし、その望みが強すぎると、私たちは知らず知らずのうちに、最も大切な「自分自身の誇り」を差し出してしまうことがあります。
古典『菜根譚』には、贅沢がもたらす恐ろしい副作用について、こう警告しています。
出典と現代語訳:『菜根譚』前集 第11条より
原文
「藜口莧腸(れいこうかんちょう)なる者は、多く氷清玉潔(ひょうせいぎょくけつ)なり。 袞衣玉食(こんいぎょくしょく)なる者は、甘(ん)じて婢膝奴顔(ひしつどがん)す。 蓋(けだ)し志(こころざし)は澹泊(たんぱく)を以て明(あき)らかに、而(しこう)して節(せつ)は肥甘(ひかん)より喪(うしな)わるればなり。」
現代語訳
アカザの葉を食べ、ヒユの茎を啜るような質素な食事をしている人は、その心も氷のように清く、玉(ぎょく)のように潔いことが多い。 一方で、きらびやかな衣装をまとい、贅沢な食事に溺れている人は、(その生活を維持するために)平気で他人にへつらい、奴隷のような卑屈な顔つきになってしまう。 なぜなら、気高い志というものは欲のな(淡泊)さによって磨かれ、人としての節操は「贅沢(肥甘)」によって失われてしまうものだからだ。
「贅沢」が奪うのは、お金ではなく「自由」
この言葉が本当に伝えたいのは、「贅沢=悪」ということではありません。 「贅沢に依存してしまうことの危うさ」です。
- 一度覚えた贅沢を失いたくない。
- もっと派手な暮らしを見せつけたい。
そう思った瞬間、人はその生活を守るために、自分の信念を曲げたり、嫌な相手に頭を下げたりし始めます。これが『菜根譚』の言う「卑屈な顔(婢膝奴顔)」の正体です。
清らかな心を持つために
質素な暮らしを厭わない人は、誰に対しても媚びる必要がありません。 自分の食べる分、生きる分が「足る」ことを知っていれば、心は常に自由で、氷のように澄み渡っています。
「志は淡泊を以て明らかに」。
私たちが本当に磨くべきは、外側の贅沢ではなく、内側にある「何ものにも縛られない志」なのかもしれません。
まとめ
毎日を丁寧に、シンプルに過ごすこと。 それは決して「我慢」ではなく、自分の誇りを守るための、もっとも贅沢な生き方です。
贅沢な食事よりも、心から納得できる一歩を。 そんな生き方の中にこそ、本当の「真味」が宿るのではないでしょうか。
人は求めなければ、真っすぐでいられる。益に惑わされない。
この知恵を心の片隅に・・・


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